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「絶景の後には絶景(壮絶な景色)あり」

絶景の後には絶景(壮絶な景色)が待っていました。九寨溝からは、08年5月12日に発生した四川大地震の被災地を避け、大回りのルート(黒水・小金経由)を通り、成都に行く予定にしていたのですが、途中の茂県から汶川を経て成都に抜けるルートが、09年9月に暫定的に開通したという情報を得て、被災地のまっただ中を走ってきました。 

国内(中国人)旅行客を含めて、九寨溝への観光は、成都から出発する場合、往復飛行機を使用する事になっており、公共バスを使用する場合を除いて、現時点でも観光バスでの往復は許可されていません。暫定的に道がオープンしたとは言え、観光バスが増えれば、災害復旧用の工事関係車両に影響が出るという理由です。 

そのため九寨溝への観光は、限りなく100%に近い数が、飛行機を利用しています。しかし我々は、成都からではなく北の西寧から入ってきたために、陸路の移動が許されたのです。究極のバスツアーとなりました。 

災害から1年半。悲惨さだけが取り上げられる被災地ですが、復興の早さ、そして逞しさをも感じました。大地震後の今をとくとご覧下さい。

1.四川大地震 汶川県の中心威州県  

四川大地震では、マグネチュード8.0。死者は行方不明者を含め約8万人を数えた。四川汶川大地震とも呼ばれ、震源地は四川省アバ(阿壩)・チベット(西藏)族チャン(羌族)自治州汶川県映秀鎮である。今回は、茂県から都江堰まで、その震源地を走った。至る所で工事は行われていたが、意外にも道路の復旧は進み、茂県→42km→汶川→91km→都江堰、計133kmを4時間半で抜ける事ができた。汶川を過ぎると、地震で甚大な被害を受けたのが分かる。

下:汶川県の中心威州鎮 手前が仮設住宅。後方は再建された学校。

下:汶川県の中心威州鎮 手前が被害を受けた住宅。後方は建設中の住宅。  

09年度の年末までに、すべての仮設住宅を撤去し、新設の住宅か補修した住宅に転居させる予定だとか。→阪神淡路大震災後の対応より遙かに早い。  

倒壊した建物や全壊・半壊の建物は、ほとんどが取り除かれていた。

2.四川大地震 汶川県威州鎮→映秀鎮

茂県から汶川県までは、工事中の旧道を走ったが、汶川県から都江堰までの旧道はすべて土砂に埋まったため、汶川から60kmの地点までは、新たに建設された新道(トンネルも数カ所新しく掘られた)を、残りの30kmは地震前に一部開通、地震後改修した高速道路を通った。

下:汶川県の綿虒鎮

看板には5・12汶川大地震綿虒沙壩遺址保護区と書かれている。地滑りで  埋まった住居が、そのまま遺跡となった。遺跡とするには早い気がするが、中国  は何でもスピードが大事だ。

下:旧道−橋を渡った対岸は、すべて土砂で土砂に埋まっている。橋の真ん中の石が土砂崩れの激しさを物語っている。

下:旧道−土砂に押しつぶされた車が、まだそのまま放置されている。かつてここに道路があったとは思えない。救援隊(人民解放軍)はこの旧道をどのように通って、救助に向かったのだろうか?救援隊の犠牲者も多かったと聞いた。

下:房中石 よく見ると家の中に石がある。石が飛んできて、屋根を突き破り、家を押しつぶしたようだ。家の中の人はどうなったのか?道路には、房中石の看板が作られ、すでに観光地とするための準備が整っていた。

 

下:路中巨石の看板 こんな看板の取り付けが、道路の復旧作業と共に進められている。やり過ぎなのか、手際がいいのか。

3.四川大地震 汶川県映秀鎮 

地震の震源地。地震の被害は、記事によって異なるので、おおよそだが、死者6600人〜7700人(人口の6割〜8割)、99%の家屋が倒壊した。看板にも震源映秀と書かれていたので、車を停めると、バスにワーッと人が集まってきた。募金活動かと思いきや、地震観光に行かないかと、ラミネートされたパンフレット(添付)を持って必死に勧誘する。 

「皆さんのバスでは行けないので、あのマイクロバスで観光に行きます」 

「皆さんは、何名ですか?」 

夕方5時を過ぎていたので断り、持っていたパンフレットを10元で購入して、街を後にした。災難を乗り越え、それを商売に変えるパワーには恐れ入る。実際、国を巻き込み、街ぐるみで、映秀鎮の観光地化を目指している。

下:保存が決まった建物以外は、ほとんどが撤去された。整地され、再開発に供えている。

4.四川大地震 都江堰 

成都の衛星都市・都江堰も大きな被害に見舞われた。市内を走ると、廃墟になった取り壊し予定の建物が目立ち、特にホテルが目についた。商業施設は、写真のように一階は営業しているが、二階以上は空き室(居住区)の建物が多かった。今後、耐震調査をし、補強で住む場合は補強し、補強できない場合は取り壊しするという。うーん、一階だけ大丈夫で、二階以上が問題ありという事があるのだろうか?どうも危険性より、商売を優先しているようにしか思えない。まあ生活していかなければ、ならないのだから仕方がない。 

都江堰は、二千年以上も前に作られた堰で、世界遺産にも指定されている。さすがに長年の風雪に耐えてきただけ合って、被害はほとんどなかった。付属する仁王廟等に被害が出た。

下:都江堰の商業施設 一階は営業中 二階以上は空き屋

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