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「中国の奥深さ」

2年ぶりの中国の旅でした。中国全土(22省、4直轄市、5自治区)をバスで走破し、中国世界遺産41の内38まで回った私にとって、新しい発見はないと思っていました。激変する中国には慣れっこになり、もう驚くことはないと思い上がっていました。しかし中国は年々変化し、その時々で違った表情を見せます。中国の奥深さを知る旅となりました。

1.世界遺産平遥の明かり 

平遥は、中国国内で最も完全に保存されている古城として、世界遺産に指定されている。夜でもまばゆいばかりの明かりと人通りに圧倒された。日本は、節電に因る暗さと先行きの見えない闇に覆われている。あまりに対照的だった。

 

2.五岳のひとつ崋山 

*五岳(ごがく)は、5つの道教の聖山の総称。崋山は西安近郊(東120km)、その峻険さで知られる。歴史の街西安の観光で時間を費やし、今まで崋山には一度も訪れる機会がなかった。まず世界一急なロープ-ウェーで北峰下へ。北峰(1615m)を経て南峰(2160m)を目指すのが一般的なルート。途中の道は断崖絶壁に作られ、鎖を頼りによじ登る箇所もあり、中峰までの蒼龍

嶺には幅1m、長さ1500mの足がすくむような階段が続く。当初から周辺の散策だけのつもりだったが、もちろん予定通り頂上には登らず退散した。高所恐怖症の私には、それでも十分過ぎた。石灰岩質の崋山の嶺々は、風雨で削られ、わずかな樹木を残して、天空にそそり立つ。その美しい山容を眺めるため、夏休みには観光客が大挙して訪れる。ロープ-ウェーは、2~3時間待ちという。 崋山で出会った四川からの観光客。今回は日本人が行かないような観光地を訪れると、よく中国人の若者達に声を掛けられた。 今までこんな事はなかったのに。ガイド曰く。 「女性だけのツアーだからでしょ」 「戦争のドラマで悪役の日本人の兵隊は出てくるけど、女性はいないからね」「中国人は、日本人の女性にはいいイメージを持っている」。確かに。ついでに面白い話しを。「中国の若者の間で最も有名な日本人女性は?」 「・・・」「答えは、AV女優の蒼井そら。尊敬を込めて蒼老師と呼ばれているよ。知ってます?」

3.九寨溝

世界遺産九寨溝。いつ行っても人は多いが、間違いなくその美しさは天下一品。看板に嘘偽りはない。自分も観光客のひとりなのだから、観光客が多いと文句を言っても致し方がないしかし工夫次第で静かな九寨溝を味わう事ができる。その秘訣は、巡回バスにできるだけ乗らずに歩くこと。バスから下りて、景勝地だけを見て、すぐに移動してしまう人が多いので、ゆっくり景勝地と景勝地を繋ぐ、遊歩道を散策するといい。中国人の旅行日程も忙しく、ゆっくりする暇はないからだ。

 

4.四川大地震 汶川小学校

四川大地震から3年が経った。今回、九寨溝観光の途中で、震源地の四川省汶川県映秀にある漩口中学校の地震遺跡を訪れた。地震の翌年09年にこの街を訪れた時は、まだ地震の傷跡が生々しく、立ち寄る気にはとてもなれなかった。訪問から2年、街には新しい建物が建ち並び、道は整備され、この遺跡を見ない限り、地震の被害地であることさえ分からないほど変貌を遂げていた。正面には地震発生時刻(2008年5月12日14時28分)を刻んだ時計を配置した慰霊広場が建設され、後方には崩壊した建物がそのまま遺跡として残されている。

ガイド(地震後に設立された現地会社の社員)の案内で遺跡を回った。映秀では、全人口1万人の約8割(少なくとも7,700人)の死者、行方不明者を出した。この中学校でも1527名、教師37名の内、43名の学生、8名の教師、2名の事務員、2名の家族が亡くなっている。それでも、この学校は被害が少なく、手抜き工事等の問題がなかったために遺跡となった。しかし写真を見ればお分かりのように、被災した当時のまま(遺体捜索はしていない)、手をつけずに遺跡としている。何とも複雑な気持ちであった。

10月にメールマガジン35で報告したいわき市平薄磯の被災地を半年ぶりに再訪した。がれきは片付いたが再建はまだ手つかず、集めたがれきも近くの中学校の校庭に山積みだった。復興の声は、まだ遠い。

中国は地震から3年経ち、すべての被災地から仮設住宅は撤去され、街の移設、再建、道路の新設などもほぼ終了した。共産党の強い指導の元、住民の不平不満はすべて封じ込め、とにかくハード面はすべて整った。地元は大観光地・九寨溝と黄龍への通過地点という地の利を生かし、観光で生計を立て直そうとしている。

片や日本は、民主的な方法をとり、住民の意見を取り入れて復興計画を立てると言っているが、政府の決断力がないために復興は遅々として進まない。原発問題は、中国の新幹線の事故処理を批判できないほど、隠蔽された事実が明るみになり、不信感は募る。

かといって中国の強引なやり方にも問題はある。両者を足して2で割る方法はないか。同じ被災地、中国の四川省と日本の東北地方、もっと相互の情報交換や交流があってもいい。日本の政治家は、四川省の被災地をお見舞いがてら、視察するぐらいの度量がなければ。

5.三星堆

1986年四川省広漢の三星堆遺跡から発見された縦面仮面。日本でも展覧会が開かれたので、ご存知の方も多いはず。この発見によって、黄河文明に長江文明を加え、中国文明と呼ばれるようになった。

博物館の展示物も見ごたえがあるが、博物館内で写真が撮り放題というのもありがたい。残念ながら、日本で自由に写真が撮れる博物館はほとんどない。





6.西部千里大峡谷

宿泊地の昭通市塩津県豆沙鎮が、麻薬捜査のために街ごと封鎖され、急遽宿泊を昭通市に変更。豆沙の観光が出来なくなったために、代替で訪れた西部千里大峡谷。写真でそのスケールの大きさを伝えることはできないが、その規模たるや中国版グランドキャニオン。それもまだ開発されたばかりの観光地で、中国でもほとんど知られていないところがすごい。近くにはオグロズルの越冬地があり、11月になるとチベットから鶴も舞い降りる。

一帯は右のような高山植物の宝庫。中国の奥はまだまだ深い。



 7.大海草原(標高3000m)

モンゴルではなく、雲南省の草原。もちろんパオ(モンゴルではゲルと呼ぶ)は観光用。モンゴルでは乾燥化が進み、緑濃い草原が減っている。モンゴルより、モンゴルらしい草原だ。

元の時代、フビライの軍は雲南省の大理やミャンマーのパガンを攻めた。騎馬軍団のモンゴルが、どのようにして熱帯の森林地帯を通ったのか、長い間疑問に思っていた。百聞は一見にしかず。このような高地の草原をつたい、兵を休めながら、南を目指したのだ。



8.紅土地

霧のために写真はいまひとつ。ここは、新しい撮影スポットとして脚光を浴びる雲南省の紅土地。赤いラテライトの大地に、色とりどりの畑が織りなす、パレットのような風景で知られる。  
でも天気が悪くても大丈夫。中国人なら、右の写真のように彩色をして、美しい写真に仕上げる。

  

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