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「また事件だ」

また旅した場所で事件が起きてしまいました。「二村が旅した場所では、必ず事件が起きる」というは、ほとんど定説化してきたようです。やだやだ。ジャーナリストではないので、いちいちコメントしたくはないのですが・・・。記事と実際があまりに違うので、やはり一言書いておきます。 

今度は、2月に訪れたミャンマー東北部での事件です。選挙報道のさなか、8月29日の朝日新聞に「ミャンマー難民1万人が中国へ」、「国軍と少数民族衝突」、東京新聞に「中国への避難続く」、「武装勢力と警察が衝突・ミャンマー」、30日には続報として、朝日新聞に少数民族と国軍交戦」「ミャンマー停戦合意に亀裂」「難民1万人超す恐れ」との記事が掲載されました。 

*他紙もほとんど同様の内容です 

この記事は、最初から「軍事政権のミャンマーが少数民族を迫害している」「軍事政権は悪」というコンセプトで書かれています。記事の出所を見ると最初は北京、次はバンコクからです。中国ではマスコミは中国政府の規制内でしか報道できないため中国の報道を、ミャンマーでもマスコミ関係者であればビザも下りないため、タイの報道をそのまま引用しています。つまり記者が現地に入って実証したわけでもなく、現場に一度も行ったことがないのでしょう、コンセプト通りの記事と思われます。 

そこで私が現地に訪れ、ガイドから聞いた話を元にニュースを解説していきます。

1.シャン州のチャイントンにてライ族の得度式 ミャンマーは日本の1.8倍の面積を持ち、7管区(主にビルマ族が住む)と7州(ビルマ族以外の主要民族が住む)に分かれ、人口5500万人の内、ビルマ族は70%、その他135の民族が住んでいます。今回、事件が起こったのはシャン州(主にシャン族→タイ系の民族)の東北部で、この地域にも多くの民族が住んでいます。観光客には、少数民族の村を回るトレッキングが人気で、私も2月にはそれを目的にこの地を訪ねました。但し、陸路での移動は認められていないため、ヤンゴンから飛行機でタイとの国境の街タチレイクへ、更に車でチャイントンへと足を伸ばしました。チャイントンから中国国境までは100キロしか離れていません。まさに今回の事件の地域です。

 

2.マーケットで見かけたリーシャン族の女の子たち メコン川を夾んでタイ・ミャンマー・ラオスが接するこの地域は、かつてゴールデン・トライアングルと呼ばれ、世界最大の麻薬の製造地域でした。現在タイ・ラオスでは、ほとんど生産されなくなりましたが、ミャンマーの特にシャン州では、政府の撲滅運動にも関わらず、未だに多量の麻薬が製造・販売されています。この麻薬が、今回の事件の原因なのです。つまり知識豊富な記者であれば、連日バカみたいに放送しているのりぴーの事件を、世界的な麻薬問題と関連させ、もう少しレベルの高い話に仕立てる事が出来るのです。まあそんな内容では、視聴率が稼げないでしょうが。

3.ワ族祭り この地域での麻薬の生産は、共産党に追われた国民党の残党が、独立志向の強い少数民族を利用して始めました。その後、ミャンマー共産党やモン・タイ軍を率いるコンサが、麻薬を活動資金として、政府と長い間戦いを続けて来ました。しかし96年には、コンサが投降して和平合意されたのですが、依然として少数民族地域では麻薬が生産されています。特に州内にあるワ族とコーカン族の自治区(ミャンマーには12箇所)は、政府の力が及ばない治外法権の地域で、武装解除もほとんど行われず、麻薬密造・密売の基地となっています。 

今回の事件は単純な政府対少数民族の構図ではなく、政府が麻薬取締を強化し、それに対して武器を持つコーカン族が交戦し、武力衝突に発展したと推測されます。コーカン族は、中国から移住した漢族が元で、ミャンマーでは少数民族として扱われていますが、中国語を話し、容姿も漢民族です。そのため中国の難民の保護は、実は自国民の保護とも解釈できます。難民と言っても、普段から国境の往来は自由に行われていますので、今回も「危ないから中国へ逃げるか」といった軽い気持ちで移動した人々と思われます。また今の時代は、コーカン族やワ族といっても、はっきり分けられるものではなく、かなりの数の中国人が商売のために、少数民族になりすましてミャンマーに入ってきているというのも知っておく必要があるでしょう。 

少数民族、国境を理解できない記者が書くと前述のようなコンセプトありきの一方的な内容になってしまいます。日本政府は、「CHANGE」が出来ましたが、日本のマスコミもチェンジが必要なようです。

*チャイントンは、和平合意された平和な街です

*ワ族は、南アジア語族のモンクメール語系で、中国雲南省南部、ミャンマーのシャン州、ラオス北部に70万人ほどが暮らしています。但しすべてが、麻薬のビジネスをしているわけではありませんのでお間違えなく。

*この地域の麻薬の撲滅には、日本のNGO団体も積極的に活動し、ケシからソバへの転作の指導等をしています。

 

4.田植えをするムエパラオン族 中国が報道したのは、常に世界からチベット・ウイグルの少数民族問題で、批判されているため、この機会に少数民族の人道援助もしている事を世界にアピールしたかったからです。中国はミャンマーの軍事政権の後ろ盾ですから、本気でミャンマー政府を批判する気などはありません。国連は国連で、軍事政権のミャンマー政府をたたく事が目的ですので、難民問題をことさらに強調します。それぞれの思惑の中、お人好しの日本は、その情報に踊らされているだけのような気がします。朝日新聞などは同じ少数民族問題として、ミャンマー西のロヒンギャ族を扱っていましたが、この問題とはまったく違う話です。 

今回に限っては軍事政権には、あまり非がないように思えます。また現地からの情報では、ミャンマー政府内には、コーカン族の副会長もいるので、そろそろ収まるだろうとの事でした。 

こんな思慮のない報道で困るのは、ミャンマー全体が危険地域と誤解され、また観光客の足が絶えてしまうことです。大丈夫。「さあ、ミャンマーへ行きましょう」

5.サムライ伝説 政治的な話ばかりになったので、文化的な話で締めくくります。  

ミャンマー・チャイントン付近で語られているサムライ伝説です。 

昔々、タイで王位継承戦に破れた日本の武将と配下の者たちが、この地に逃げてきたそうな。その際、当地を治めていたシャン族の王が彼らに「そちらは、どこのもんじゃ?」と聞いたが、彼らは素性を知られるのを恐れ、とっさに「我々はクン(君)=コン」族であると答えたそうな。王は、彼らをいたく気に入り、この地に住むことを許したそうな。これ以降、彼らはコンシャン族と呼ばれるようになったとさ。 

こんな伝説が、現地ではまことしやかに語られ、かつてこの地にサムライが住んでいたと彼らは信じています。その証拠として見せられたのが、屋根の上に斜めに2本の木材を交差させたもの〔千木(ちぎ)〕です。確かに千木は、日本の神社建築の特徴ある様式として知られています。残念ながら今回は、現地で初めて聞いた伝説だったので、ゆっくり時間を掛けて回る時間はありませんでした。興味をそそられる話です。 

*第2次世界大戦中もこの地域には、日本軍も入ってきています。

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