概況: |
交河故城は前漢のころの車師前国の都でした。サルマタイ系遊牧民族の車師前国は、大国の匈奴と漢との対立間を、両国に服従しながら苦心を重ねて細々と生き拔きその命脈を保っていましたが、442年に、北魏に滅ぼされた北凉の沮渠氏がこの地に逃れ高昌郡を占拠する際に滅ぼされました。後に、交河故城は高昌国の副都となりました。交河故城は、その名のとおり、交わる河と河の間の細長い台地の上にあります。断崖は高さ30メートルで天然の要害をなし、南北1000メートル、東西の幅は最も広い所で300メートル。世界でも珍しい(彫刻都市)で、黄土の台地を上から掘り下げて町を作ったのです、故城へは南門から入り、城の中心には幅3メートル、長さ350メートルの大道が通じ、西北に寺廟や仏塔、中央に官署、東南に住宅が残され、一番奥に塔林があります。 |
|